マルシンのハイパワーの紹介ですが、実は中田と同じモデルなので、ここでは箱のみの紹介になります。
写真の箱のように中田と同じ製品がマルシンの箱に入って売られていました。
マルシンマークの箱はたいへん珍しいと思います。
smマークがあるように1975年以降のモデルでしょう。
すでに王冠マークは消されています。
46年規制(1971年)までモデルガンは黒色でした。1969年から警察指導の自主規制により黒色に王冠マークが付けられました。 その後、46年規制で銃口閉鎖され、金色になり、王冠マークもついていましたが、金色規制での王冠に意味は無くなり、 金色で王冠無しになりました。その後ふたたび自主規制でsmマークが付けられるようになります。
黒色 → 黒+王冠 → 金色+王冠 → 金 → 金+sm
王冠前から登場していたハイパワーはこのすべてのパターンで存在していると思われます。
金色+王冠の 中田ハイパワーと並べています。 製品としては同じ物です。
と、言うより中田の下請けがマルシンでしたので、同じところで出来た同じ製品です。
中田向けに製作された製品をそのままマルシンとして販売していました。
メイド・バイ・マルシン の刻印は見たことがありません。存在しているのかも知りません。
この個体のマガジンキャッチは、プラ製ハイパワーの物が取り付けられています。
箱3態
左が一番古くて、やや小さいです。1972年ごろに購入した物です。一番右が中田で真ん中がマルシンマークです。 マルシンは、箱にsm が印刷して有ります。
古い物とは、けっこう大きさが違います。
古い小さな箱の方は、いっぱいいっぱいにGun が収まっています。
かつては発泡スチロールがあったような記憶もありますが、この余裕ではありえないですね。
大きな箱との記憶違いだと思います。
中田 〜 TRC
中田商店は、モデルガンの販売を東京レプリカ・コーポレーションの名前で行うようになります。
古いGun 誌で調べてみましたら1970年1月号と2月号で呼び名が変わっています。
1970年登場のSAAには、TRCの刻印がありました。
そのSAAは、CMCのコピーでしたので、中田商店らしくありません。フレンチまで発売して軍用銃ラインナップが 完了したので中田忠夫氏はモデルガン製造から一歩引いたのかもしれません(想像です)。
〜 マルシン
マルシン工業の名前がGun 誌に登場するのは1973年からです。以下に中田製のモデルガンの登場を年表にしてみました。
P−08、P−38、ハイパワーはマルシン製として52年規制まで引き続き販売されました。
1966年 | 1967年 | 1968年 | 1969年 | 1970年 | 1971年 | 1972年 | 1973年 | 1974年 | 1975年 |
昭和41 | 昭和42 | 昭和43 | 昭和44 | 昭和45 | 昭和46 | 昭和47 | 昭和48 | 昭和49 | 昭和50 |
P-08 P-38 |
トカレフ エンフィールド ハイパワー |
MP-40 | ウエブリー | フレンチ SAA |
ウージー MP41 |
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中田商店 | |||||||||
TRC ( 1978年倒産 ) |
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マルシン工業 | |||||||||
王冠マーク | 金色 規制 |
sm マーク |
1982年10月号Gun 誌の根本 忠 氏の記事によると1978年にTRCは倒産したそうです。
中田商店は現在でも営業していますので TRCは、別資本の会社だったのでしょう。
その後1987年ごろにレプリカの名でマルシンが販売会社を作りました。
主にガスガンの販売でしたが現在ではマルシン一本のようです。
中田の血を継ぐマルシンは、MGCに次ぎ最も古くからモデルガン文化を支えてきた会社です。
2009年を以って閉店したハドソン、工場閉鎖が噂されるMGCと、かつて栄えた会社が次々と無くなるのに対し、マルシンは健在です。
エアガン規制に経済不況、少子化と厳しいばかりの条件のなか、老舗としていつまでも魅力あふれる製品を 作って欲しいと願っています。
おまけ
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