のちにモデルガン界の大きな歴史的意味のあるモデルとなったMGC のブローニングです。
相当な自信作だったと思われます。後述する出来事によりコピー品が出回ることになり、マルシン(スズキ)、マルゴーからも発売されました。
1960年(昭和35年)からアメリカのキャップガンをコピーした製品を作っていたMGC は、1962年にコマンダー、ベレッタなどに続き、いよいよ完全オリジナル製品であるワルサーVP2 を発売します。1963年には、初のリボルバー、チーフスペシャルを完成させます。翌1964年には大ヒットになるワルサーPPKが登場しました。製品ごとにスタイル、機能ともに充実してきて、いよいよ1965年のブローニングに至ります。
タニオアクションではなく、実物に近い動作が楽しめ、しかも改造不可能ともいえる 安全機構で登場しました。画期的製品です。
外観も実物をよく模しています。
MGC のブローニングのみが、エキストラクターのモールドがありますので、他社の コピー品とはここで区別できます。 トリガーピンは、省略されています。
なかなか良い出来です。小さなサイトも実物どうりです。
このような引き出し式の箱に、手入れ道具とともに入って販売されました。
手入れ道具は、貴重なオリジナルです。MGC 製品には、ほとんど付属していました。
外観
MGC が登場してから8年後の1973年に発売されたCMC と並べています。完璧版といえるCMC のリアルモデルガンですが、
MGC の外観も負けていないと思います。
CMC のエキストラクタはリアル作動です。
トリガーガードの円と直線の組み合わせは、いかにも質実剛健のジョン・ブローニングらしいデザインです。 優雅な曲線を使用したフリッツ・ワルサー氏と対照的です。
フレーム後端の形状は、CMC の方が実物どうりです。コルトポケット25 と同じ形です。
最終型
匿名の方より写真を頂きました。有難うございます。
52年規制直前のMGC ブローニングです。箱も通常の物に変わっています。
また、刻印も変わっています。刻印図は下のほうにあります。
自信の安全メカ
オープンボルト式のサブマシンガンのように、発射待機状態ではカートはまだマガジンに入ったままです。トリガーを引くとブリーチがカートをくわえながら前進し発火させます。
スライドは手で動かします。まだ、ブローバックモデルガン自体が存在していない時代でした。
エジェクターは存在せず、スプリングガイド(釘のようなパーツ)によって弾き飛ばされますが、
これは実物でも撃針ではじく、同じ構造です。
バレル固定方法は、省略されていますがシアの形状やセフティなど実物をよくコピーしています。マガジンセフティ形状はずいぶんと違いますが、MGC もきちんと作動します。
バレルを止めているのは貫通ピンで、けっこう乱暴な設計です。ブッシングを止めるのに鋼板プレスパーツを別に差し込むあたりは、なかなか素晴らしいアイディアです。
しかし鉄が錆びるとブッシングが抜けなくなり固着してしまいます。
ブリーチがスライドの端から端まで動くためスライドの中には何も入っていません。
後撃針への改造はできない安全設計です。
登場広告
1965年7月号のGun 誌です。この広告にはライブに見えるエキストラクターが付いていますね。
当初の試作品は別パーツ予定だったのかもしれません。
ブローニングの乱
この絶対の自信作を発表したMGC は、住民票宣言を行います。モデルガンは、すべて登録して購入しようと いうシステムを提唱ではなく、宣言し実際に小売店までそうしなければ製品を卸さないという強い主張でした。
MGC は、1962年にコマンダーを発禁にされ、63年にはワルサーターゲットも弾が発射されることから 発禁処置を喰らっています。警察の一方的な命令でどうにでもされることを経験したMGC は、高機能モデルガンがすべて発禁処分にされる恐れも抱いたために、予防線を張っのだと思います。高尚な趣味の集団を目指した神保代表の主張だったと思います。
背景には、1965年2月に起こった猟銃乱射事件により、同年7月いきなりの銃刀法改正で住民票と精神科の診断書が銃所持に必要になったことが挙げられます。実銃でもいきなりの規制でしたので、モデルガン業界にも何らかの規制がかかると予見したのでしょう。
業界を守ろうとした考えは、方法が強烈だったため、かえって業界衰退のきっかけになってしまいます。
絶縁状
当時は製造するのみで販売はしていなかったMGC ですが、このブローニング発表と同時に直営販売にも乗り出すことを宣言します。この時代、モデルガンと言えばMGC 製品しかなかった業界で 一般普及を妨げる住民票宣言と直営店開設は、いままでMGC 製品を販売してきたINT(コクサイ)、江原商店(CMC)、マルゴーなどは賛同できるものではなく、完全対立することになり、結局業界はMGC とその他会社連合(高級玩具組合)とに分裂してしまいました。コクサイが資本主であるGun 誌からもMGC 広告は見られなくなりました。
MGC 広告がGun 誌に復活するのは1979年、MGC 20周年からですので、対立は15年ほど続いていたことになります。
コピー品の嵐
MGC と決別した組合側は、売る製品がないので大急ぎでモデルガンを製造しなくてはいけませんでした。そこでてっとり早くMGC 製品の丸ごとコピー品を製造し販売しはじめました。これには、金型屋も 一枚かんでいて、MGC と全く同じ金型で作られた製品もありました。
コピー・ブローニングは2社が製造し、4社から発売されました。MGCのPPK 1型、2型、チーフ1型などもコピー品が出回りました。 組合側のトップは、荒井氏(コクサイ)だったようで、MGC の神保氏と激しく対立したようです。 (ビジェール記事よりの想像です)。
写真は、左がMGC で、右はMGC フレームにマルゴー製スライドを組んだ物です。
マルゴーにはエキストラクターのモールドがありませんね。
マルゴーのブローニングは、MGC とパーツ寸法に違いのある製品も存在します。
MGC | 本家 |
マルゴー | パーツ互換有りと少し寸法が違うもの有り |
スズキ | グリップセフティ固定型、互換なし |
マルシン | スズキと同じ製品 |
コモダ | スズキと同じ製品 |
左・MGCと互換のある右・マルゴー。
おわりに
警察の全規制を心配した神保氏の住民票宣言は、業界の分裂を招き、 警察当局との一元的な交渉組織がないことで、かえって規制をしやすくさせてしまったのではないかと思います。運命とは皮肉なものです。1971年(昭和46年)には黄色規制、1977年(昭和52年)には銃身分離型規制で、ほぼ金属モデルガンの命は消されてしまいました。
安全機構を備えた名機ブローニングでしたが、業界分裂の引き金となり、コピー品たちに混じって 52年規制により消えてしまいました。MGC ブローニングの登場は、日本のモデルガン史の中で最も大きなターニングポイントだったと思います。
32口径刻印の追記
2011/3/28
ハンネheiheiho さんから珍しい写真をいただきました。有難うございます。
輸出用のRMI製品だとのことですが、確かに32口径の刻印です。
もともと実銃のFN 1910 は、32口径で開発されたもので、あとから作られた38口径の方が
もっぱらアメリカへの輸出に使用されたせいなのか、日本ではブローニング380 の呼び名で通っています。
ヨーロッパ向けならば、一般的な32口径の刻印こそ向いていますね。製品への細かな配慮です。
エキストラクターは、オーナーがスチールテープを貼っています。まるで別パーツのような素晴らしい外観になっています。 ハンネheiheiho さん有難うございました。
試作品の写真
↓クリック拡大古いGun 誌1964年2月号にブローニングの予告が出ています。この広告から実際の製品発売まで1年半ほどかかっています。この写真を見ると面白いことが見えてきます。
マガジンセフティがないほかは、実銃と全く同じ構造です。CMCブローニングも真っ青な作りで、 ロッキングラグもあり、トリガーにはツバが付いています。 バレルには、滑り止めが付けられていて「 この銃は分解・組立てに工具が要らない 」と広告で謳っています。 また、「 実物の機構を再現 」と書かれていて、当初は完全コピーだったことが判ります。 小林さんは、こういうのが作りたかったのでしょうね、しかし安全面にうるさい神保会長の許可が下りるはずもなく 試行錯誤の繰り返しの末にたどり着いたのが、オープンボルト方式だったのでしょう。 苦労した設計を他社がそのまま製品化したことは、はらわたが煮えくりかえる思いをしたことでしょう。
また、当初はスタンダード品が発火品よりも500円安い2900円で存在し、登場も数ヶ月早かったそうです。 その後すぐにスタンダードはなくなったようです。スタンダード品は銃口が閉鎖されておりダミーカートを 使用したそうです。
アンクルカービン
↓クリック拡大
1966年2月号のGun マガジンの広告にアンクルカービンがありました。
0011ナポレオンソロもかなり人気があったのでしょうね。
各社刻印図
各社の刻印図です。 2番目は匿名様よりいただいた情報です。有難うございました。 その他の刻印がありましたら是非ご連絡ください。
また、各社製品の識別はセレーション形状ですぐに解ります。
- MGC は、普通のセレーション
- マルゴーはセレーション頂部に一本横線あり
- マルシン、スズキはセレーションがブツ切り
オーナー様、貴重な箱を貸していただき有難うございました。
おまけ