MGC は、社長の神保氏と開発の小林さんのヨーロッパ視察旅行の結果、日本で007 映画が上映されるよりも一歩早く ワルサーPPK を商品化していました。1964年(昭和39年)のことです。
その後、なんと007が日本を舞台に撮影されるという情報を得て、MGC はそのスポンサーとなるべく動きます。 その結果、PPK 1型を改良した2型が映画公開と同じ年である1967年に発売されました。 1型は、セフティが逆作動でしたので、さすがに使えないと思ったのかもしれません。また、1型は大戦中の実物が モデルでしたが、2型は戦後タイプになっています。007映画で使用される物と合わせたのでしょう。
まぎれもなくMGC 製です。幻のモデルガンです。
本来ならば、007映画とタイアップして大々的に売り出されて、現在でも大量に存在しているはずなのですが、 コピー品が登場したことに抗議してなのか、生産はすぐにやめてしまったようです。MGC は、以前にもコピー品対策で 生産をやめたことがありました。
スライド先端形状は、戦後のPPK スタイルをモデルアップしています。
ですが、リアサイトは戦中のPP のような形です。
刻印2種
初めのころの刻印は1型と同じ物です。第2次大戦中のものをアレンジしています。
キャリバーをkal と書いたのはMGC のみです。
後期型になると輸出用の刻印が用いられています。
PPKとは書いていなくてPDPとなっています。商標権に留意した物でしょう。
この刻印は、そのまま3型に引き継がれます。写真上のスライドが3型です。
MGC 製の2型は、幻になりましたが機構の同じコピー品は多く見られます。
スズキ(マルシン)製の物が最も多いようです。マルゴー製もありました。
MGC 創業者自伝
2009年12月に神保氏より自伝が自費出版されました。
この表紙のように、007はMGC にとって、かけがえの無い存在でした。
MGC 2型を持つジェームスボンドの手は別人なことは良く知られています。
この MGC 会長の自伝は、MGC 福岡店にて700円+送料 で購入できますが
新日本模型さんのページで問い合わせても分けていただけます。↓
現在は取り扱っていません
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1,2,3 型
左から1,2,3型です。すべて右サイドにMGC の刻印があります。
2型は、1型からセフティ機構、排莢口の大きさなど変わっています。
3型は1970年に登場していますので、全部3年ピッチで発売されています。
実銃サイズで作られた3型と比べると小ささがわかります。
子供用の遊びやすさのためなのと、改造防止などから本物よりも小さく作ることが神保氏のポリシーだったそうです。
スライド上部の反射防止処理です。
1型と2型は、同じサイズです。マガジンも共有できます。
リアサイト形状やトリガーガードの厚みなどに違いがみられます。
メカニズム
ほぼ1型と同じ構造ですが、マイナーチェンジが施されています。
タニオプレートにワッシャーがかけられて、外れにくくなっています。同様にトリガーガードも はずれ防止式になりました。また、滑らかに動くようにフレームに誘導凹が作られています。
( 写真のトリガーは2型コピー品の物です )
1型と2型のスライド、フレームを交換しているところです。
への字形状の凹があるフレームが2型です。
フレーム長さに違いがすこし見られますが、相互に使用できます。
左の1型コピー品スライドにはハドソンの刻印があります。珍しい物だと思います。
1型フレームもコピー品です。
コピー品と比較
1965年にMGC の住民票宣言からその他メーカー全部と絶交・交戦状態にあったために、MGC 製品には多くの コピー品が出現していますが、その中でも完成度の高いPPK 2型は、数多くコピー品が製造されています。
写真右がコピー品です。リアサイトの形状からマルゴー販売品ではないかと思います。
スライドは、リアサイト形状や刻印などで製造会社を判別できますが、フレームは判別が難しいです。
私の所見では、写真矢印の鋳型から製品を取り出すための「押し出しピン」の位置の違いで 会社を識別しています。下記に詳細図を載せています。
おわりに
007とタイアップして大きく売り上げる予定だったPPK 2型でしたが、コピー品の嵐に巻き込まれて まぼろし製品になってしまいました。当時のMGC の方たちは怒ったことでしょうね。
モデルガン業界で内輪もめをしている間にも、製品は多く社会に出て行き、やがて4年後に黄色規制である46年規制(1971年)を迎えることになります。
当時の多くの人は 「モデルガンは死んだ」 と、思われたそうですが、
実はもっと凄い、52年規制(1977年)が後から追いかけてくるとは、夢にも思っていなかったことでしょう。
ひとつの価値観を多くの人が共有する時代でした。007映画も今から想像するより大きくヒットしていた時代です。1970年の万国博覧会へ向けて日本が大きく花開く時代の出来事でした。
チラシ
↑クリック拡大します。押し出しピン位置がよく分かります。
おまけ
chukichi-hide さんのブログ「晴耕雨読partII」 より、許可をいただき、たいへん珍しい2型の分解図を掲載させていただきました。 有難うございました。
チラシ表紙 | |
分解図のJPG が開きます。→ |