現在でも実銃は作っていますが、以前はフリントロック銃、トイガンも作っていました。
フリントロックの国内販売品は銃口も閉じられ、長物は銃身下部に多数の穴開け加工がされていますが、 その材質は、米国向けの実銃素材が使用されていたのではないかと思います。 鉄製で大変良い造りです。たまにネット上で見かけますが、正確な名前がわからないので調べてみました。
アメリカ向けに製造されていたので、アメリカ建国の歴史を紐解くようなものですね。
ミロクのピストル種類
(公 式)
1977年10月号 Gun 誌に載った、大阪の上六ガン&ホビー のミロクの広告ですが、公式にはこの4種類が売られていたようですが
下記にあるようにパーツの組み合わせで作ったようなものも見受けられます。
ブラウン・ベス
(Brown Bess)
1740年から1840年にかけてイギリスのロンドン塔・兵器廠で作られたマスケット・ライフルのピストル版。
ブラウン・ベスとは、愛称で意味は不明です。
王冠マークにGR、TOWER の刻印があります。
ナポレオン戦争、独立戦争、米英戦争などに英国軍により使用されました。
ハーパーズ・フェリー(Harper's Ferry)
1775年 から1783年にかけて英国と戦った独立戦争 American Revolutionary War により アメリカ合衆国が誕生しました。初代大統領ジョージ・ワシントン の命によりバージニア州ハーパーズ・フェリーに 兵器廠が作られました。1805年、そこで初めて製造された正式軍用拳銃です。58口径もしくは54口径。
レプリカ・ガン参考ページ
http://harpersferrypistol.com/
ケンタッキー(Kentucky)
外観は、8角銃身に深く曲がったグリップが特徴です。
War of 1812:1812年から15年にかけての米英戦争で使用されました。
ヨーロッパではナポレオン戦争中なのに乗じて、イギリスからカナダを分捕ろうとアメリカが起こした戦争です。
もともと、この銃器は1770年ごろからペンシルバニアで製造された現代式ライフリング付きの精巧な銃で、 ペンシルバニア・ライフルと呼ばれていたものです。ニューオーリンズでの米英戦争の最後の戦いで ケンタッキー出身者の軍が大勝利をおさめたことからケンタッキー銃と呼ばれるようになりました。 36、46、50口径。
検索語:Kentucky rifle 、Battle of New Orleans、Pennsylvania rifle、ニューオーリンズの戦い
レプリカ販売(英語)↓
http://www.iloveswords.com/REV_guns.html
キット組立(英語)↓
http://www.airbum.com/NeatShtpix/HainesPart1.html
以上が歴史的な品物です。が、以下のように名前の判らないバージョン違い品も存在します。
私は、各パーツを組み合わせたミロク独自の造形なのではないかと思っています。
また、1986年にフランクリンミントから発売された鉄製ナポレオンの拳銃もミロク製ではないだろうかと思っています。
名前不詳
一番下は、ケンタッキー・マズルローダーの名で1977年ごろ販売されていました。8角銃身を途中からラウンドに切削したもので、おそらくケンタッキー軽量化モデルではないかと思います。
他の物は、その銃身パーツや余りパーツを使った派生品ではないでしょうか?
真ん中の物は、ケンタッキーの8角銃身なのにストックは、もっと以前の時代の物です。
中田商店の本に掲載
1973年(昭和48年)発行の中田商店の軍装本の最後の方にミロク・フリントロック・ピストルが一覧で載っていました。こうやってみますと、ストック2種、ハンマー2種、バレル3種をあれこれ組み合わせてラインナップされているようです。
- 検索ワード
大日本帝国陸海軍―軍装と装備
海外サイトで見つけた
ブラウン・ベス
輸出品のバレルにはJAPAN 刻印があります。実際に撃てる真正銃です。
Gun誌 に見る広告
1973年3月号(昭和48年)
手持ちのGun 誌の中では、これが最初の広告です。ナカタ商店にある38式とケンタッキーがミロク製です。また、
他のページにもあります。ピストルはケンタッキーの軽量銃身タイプです。
もっと古い1970年
もっと古い1970年(昭和45年)のGun誌にコクサイの前身であるインターナショナルガンショップ(INT)の広告に 出ていました。写真はクリック拡大します。 ケンタッキーの部材を使ったものとブラウンベスが載っています。
1976年10月号(昭和51年)
この号には、小橋氏のミロク社への訪問レポートが載っています。それによると17機種製作しているそうです。 試射もあって面白い記事です。
1977年10月号(昭和52年)
このころは、数多くの機種を日本でも販売していたようです。 ちょうど52年規制直前で金属モデルガン全盛期です。団塊世代の先頭が社会人になり、高額な真鍮モデルガンでも 商売になる時代でした。この絶頂期の後に最悪52年規制が実施されました。
1986年 5月号(昭和61年)
これが最後の広告です。その後、フリントロック広告は見られなくなります。smG 規制後も販売されていますが、 ミロク製品にsmGマークが入っているのかどうだかは知りません。