元歌詞:中島みゆき 地上の星、改変:maimai、音はありませんのでアカペラでどうぞ  

ブローニング380

写真01
ヨーロッパではFN 1910 で聞こえるブローニングですが、日本ではアメリカ輸出版の名称が一般的です。 初めて見ました六研のブローニングです。すごいですね、お宝拝見です。
知らない人は居ないと思いますが、真鍮削り出しのモデルガンです。当時は、こんな物が売られていました。
 

写真04
チャンバーに輝くロッケンワークスの刻印。
NC工作機を使用せず手造りで作られた芸術品といわれています。
ダミーカート式で発火は出来ません。
 

写真05
発売当時のオリジナルの木箱だそうです。
 
聞いた話なのですが、この箱は葉巻用の物を大量に六研が仕入れてブローニングの専用木箱として使用したそうです。
写真07
CMCのモデルガンは、この六研の真鍮モデルが原型ではないかと言われることもありますが、 CMC登場は1973年です。
 

写真08 対して六研のブローニングが広告に載るのは1975年です。六研のほうがあとなのです。
この広告写真は、まだ完成品が無かったからなのか、MGC の1964年の初期の試作品ではないかと思われます。 バレルの滑り止めがそう思わせます。謎の写真です。
 
左のページのKar98 は、プロジェクトが頓挫して発売はされませんでした。
のちに一部完成していたパーツを使用してCMC から発売されました。
 
うわさでは、予約金がいっぱい入ったため飲みつぶしてしまったとも言われていますが、どうなのでしょうか? 六人部さんは写真でしか見たことがありませんので、寡黙な職人さんだと思っていましたが、そうでもないような気がします。 亡くなられて現在では神格化されていますが、ナマの姿が知りたいですね。
 

断面図 六研ブローニングは、図のように撃針が表に出ない構造だそうです。
 
そのためP-38 のようなエジェクターが別パーツで備わっています。
図は想像です。

 

ウッズマン

写真00
こちらは真ちゅう製のウッズマンです。52年規制の直前に発売されました。
ネットの情報では、外注で製作されたと言われています。
鋳造品から削り出されているそうです。
 
グリップは当初はスムースの木グリで貧弱だったので、オーナーにより写真の実物木グリに変えられています。
写真13
これが純正のスムースグリップです。何の飾りも無くがっくり来るような物ですね。
Gun 誌の広告には素晴らしいフィンガーレストの付いたグリップが載っていましたので、高いお金を出して 通販で購入して、はじめてこれを見たときには、衝撃が大きかったかもしれません。
 

写真02
コクサイのプラ製ウッズマンは、六研のコピーだとよく言われています。
並べると、なるほどそっくりですね。ボタン式マガジンキャッチのセカンドタイプをモデルガン化していますが、 スライド上のリアサイトはサードタイプなので変だなと思っていました。
 

写真06 ところが、こちらの記事を読んだところセカンドタイプも1953年からは、サードタイプのアクロ・リアサイトになったことが 判りました。ネットの情報とはありがたいものです。
 
六研のウッズマンのトリガーは実物と形が違います。おそらく実物の物が薄くて頼りないので作り変えたのではないでしょうか?
 

写真09 ウッズマンの登場は、ブローニングから1年後の1976年です。
広告にあるように当初はsm規格に準拠するアナウンスが示されていました。
プラ製のSAAも企画に登場して六研としては乗っていましたが、このプラSAAは金型の不具合で正常な製品よりも 不良品のほうが多く出来てしまったそうで、製品としては赤字だったそうです。Kar98 も出来上がらなかったので、 このページに製品遅れのお詫びが書いています。
 
プラ製SAA は少数が六研とCMC から発売され、その後金型は売却されてウエスタンアームズが大幅に手直しして使用しました。 完成したプラ製SAAは当初はコクサイから、のちにウエスタンアームズから発売されました。
 

断面図2 六研ウッズマンは、Gun 誌に登場したときにバレル下に穴が開いていましたが、何故なのだろうと思っていましたが、 今回、猫おじさんから聞いたところによると、あの穴の奥にはバレルを留めるネジが入っているそうです。
 
それで銃身長が違うモデルが発売されていたのでしょう。


写真03
Kar98の頓挫、SAAの赤字、迫り来る52年規制・・と六人部さんにとってこのころは大変な時期だったことでしょう。
 
ブローニングは一説には200丁、ウッズマンはもっと少数だと言われていますが、シリアルナンバーも当てにはなりませんので はっきりした生産数は判っていません。
 
猫おじさん、貴重な写真を使用させていただき有難うございました。
 

時代背景

この頃のモデルガン業界は頂点を極めようとしていました。MGCのMJQ やCMC のガバ3型などたくさんの高品質な製品が出現し、 長物は高級な鉄製も多く売られていました。ちょうど団塊の世代が30歳ころで、高額な商品にも購買層が存在していました。 こどものころヒューブレーなんかで遊んだ第一次モデルガンブームの世代でしょう。
給料1か月分くらいの六研モデルも平気で売られていました。
 
登りつめたモデルガン業界は、知らず知らず崖っぷちへ立っていました。
こののちに52年規制で何もかも失うことになりました。
 
以下に当時の広告を載せています。写真をクリックすると別窓に大きく出ます。
当時の雰囲気が味わえます。
私は大人になったらきっと買えるであろうモデルを穴が開くほど眺めていました。
 

sm記事サムネイル 上六記事サムネイル WA記事サムネイル
sm規格
六研は入っていますがWAは入っていませんね
上六の広告
ミコアームズ御子柴さんはハドソンの長物の設計などもしています
WA広告
当初六人部氏と組んで発足した国本氏ですが1年くらいで別れています

 

あれから30年たちましたが今でも手は届かず、永遠に至上の星として頭上に輝いています。