写真00
六研・ろっけん、この言葉は1977年の52年規制をリアルで知るオヤジたちにとっては特別の意味合いがあります。 それは、かつて手が届かなかった物、究極の真鍮削り出しモデルガンとして、30年後の今でも手が届かない憧れとして存在しています。
エランなんかは、六研じゃ無いと思っています。
 
歴史的に見れば憎むべき52年規制の口実ともなったsm 規格無しの物なので、「あんたたちのおかげでオレたちはずいぶん 迷惑をこうむったんだぞ 」と、六人部氏、国本氏に言ってもおかしくないモデルなのですが、それは理屈であって現実には 子供のころに憧れた真のゴールとなるべき存在なのです。もう、今では入手不可能なので、夢は、永遠に 夢として終わりそうです。
 
このたび珍しい写真を頂きましたのでここに公開させていただきました。私は六人部氏のことをぜんぜん知らないので 文中誤り、誤解もあるかと思います。諸先輩方のご指摘お待ちしています。

第2期SAA

写真01
この立派な木箱は、○野さんの作品です。こちらにWEBページがあります。
 
プレゼンテーションボックス はいかが? www7b.biglobe.ne.jp/~make_pre-box/
 
SAA は、六研の顔とも言うべき製品で初めて真鍮製の商品として登場したのが1969年で50丁と広告には書いています。
当初はファーストドロウ・スペシャルと言う名での登場でした。まだウエスタンブームの名残で早撃ちに使用されるGunという 捉えられ方だったのでしょう。

写真02
第1期、2期、3期とあるらしいのですが、よく判りません。
また、製作時によって外観などが多少違っています。この個体をモデルとした、というのではなく六人部氏のアレンジのようです。  
写真では判りにくいのですが銃口は詰まっています。
シリンダーはインサート無しです。

写真03
日本一の早撃ち野郎・国本圭一氏の愛用銃として存在が知られました。

写真20
この本に国本氏の華麗なるファストドロウ写真がたくさん載っています。使用されているGunは六研のSAAです。 一枚だけ六人部氏と国本氏のツーショットがあります。また、この写真集の発行者はコクサイの荒井新一郎氏です。
写真の二人は、モデルガン史に欠く事が出来ない巨人ですが、それは大いなる功績だけを挙げて書くべきものなのか、作者の迷うところではないでしょうか?

一品物?シェリフズ

写真04
プリントされた物をスキャンしていますので、色合いが本物とは違う可能性があります。
 
一品物ではないかと思われるシェリフズです。面白いことにボルトやトリガーのシャフトは先端側にネジが切ってあるアサヒイーグル型 とのことです。また、写真では判りませんがシリンダーには実銃のように薬きょうのケース分だけ弾頭部よりも大きく切削されています。
写真05
ツール跡が見られます。
バレルは、ほぼストレートでのちのマルシン・シェリフズによく似ています。
しかし、ベースピンは太いです。
写真06
刻印は入っておらずフレーム下部にシリアルナンバーがあるだけです。

写真07
銃身は詰まっています。シリンダーは抜けています。
 
フレームが厚そうなのでアサヒ、マルシンの原型なのかもしれません。
六人部氏はモデルガンの原型製作氏として有名です。1970年代のMGC 以外の市販モデルガンの約半数を手がけています。
六人部氏の作った原型は鉄製もしくは真鍮製で、その寸法になるように金型屋が金型を造りました。そのために出来上がった 製品には鉄製では何でもなかった部分が亜鉛製なのですぐに壊れると言う欠点もありました。  
原型のみで作業終了の六人部氏に対し、生産まで全部関わったMGC の小林氏の方がたいへんさは大きかったと思います。

超レア!コマンダー

写真08
第3期?だったかな、いえ聞いた話だとトリガーがスチールな物は第2期だそうです。
ウエスタンアームズ刻印です。

写真09
こちらも○野さんによる素晴らしいケースに入っています。
写真10
日本での早撃ちの第一人者となった国本氏は、その後実弾修行でアメリカに渡ります。そこでSAA ではなくガバメントを使用する コンバットシューティングに出会い、その方面にシフトしていきます。
 
日本に帰国して六人部氏を社長としてウエスタンアームズを立ち上げますが、一年くらいでコンビは解消しました。 しかしウエスタンアームズと六研は、その後も提携関係にあったようです。
 
今では、エアガンのWA社長として、肥った姿を時々テレビで見かけます。
写真19
ねこおじさんから言われて初めて知ったのですが、コマンダーってフレームも少し短いのが本当なんですね。 知りませんでした。写真の一番上が六研製で下の2枚は実銃写真です。
 
この六研のコマンダーが金属モデルガンとしては、日本で初めてのちゃんとフレームの短いコマンダーだと言うことです。
 
いままでは、単にスライドが短いだけでごまかされていたんですね。

写真11
ねこおじさんによると、すこし排きょう口が大きすぎると言うことです。
写真12
六研製と言うだけでも希少なのに、珍しいコマンダーの写真が拝めて幸せでした。

最終製品ウッズマン

写真13
こちらのケースも○野さんによるものです。
 
このウッズマンはグリップがコルト純正品のようですので、以前紹介した物と同じ物でしょう。

写真15
ウッズマンは、1975年(昭和50年)のブローニング1910 の翌年に発売され1977年の52年規制を迎えますので六研真鍮製品の 最後を飾った物です。  
同時にプラ製のSAA を企画・販売していましたので六人部氏も規制後の生き残りを考えていたのかもしれません。
写真14
おや、マガジンのフォロアーがプレス品ですね、「こんなん手抜きやー・・」と思って調べてみたら とんでもない、これがほんとなのでした。何も知らないと言うのは恐ろしいことです。
写真18
こちらが、ネットで拾ってきた実物の写真です。
 
ここまで忠実に再現していることから、このウッズマンは間違いなく実銃を採寸していますね。
六人部氏の作品は、実銃を採寸した物は、間違いなく形が良いです。例としてはコクサイ・初代ミリポリ(S&W モデル13)、 マルゴーPP 、中田ハイパワーなど。ですから中田のP-38 がナロースライドなんていうのは、神話を作りたい人が言った 嘘っぱちだと思います。もしも本物を計っていたらあんなに実物と違う形に作るはずは無いんです。
写真16
このウッズマンは、外注製らしいのですがよく知りません。イメージ的には六人部氏が一人で機械で削って造っている会社だと 思っていましたが、ネットの情報では数人で製作していたそうです。 また、外注も結構使っていたようです。
 
規制後に製作された文鎮をチラッと見せていただきましたが、フレームの仕上げが終わっていないような製品でした。 たまに文鎮はオークションでも見られます。六研としては亡くなる直前にプラ製の無可動日本軍シリーズを発売していました。
 
現在、エランの社長の名刺には六研の2文字が入っていますが、商標権を購入しているのだと思います。 でも、自分にとっての六研は、もうすでにこの世に無いのです。
写真17
このたびは、見る機会さえ無い六研製品の写真を頂き記事を書かせてもらいました。
子供のころに憧れた製品のクリアな画像を使って記事が書けた幸せをかみしめています。
有難うございました。
 
一部に六人部氏を神格化したい人たちがいるようですが、素晴らしい芸術的な製品とはうらはらに私生活や商売関係は、 さっぱりだったという噂も聞きます。さもありなんと思います。一芸に秀でた方々は、その他方面がさっぱりなことは、よくある話です。 六人部氏の息遣いや汗、涙、失敗、怒りなんかが聞こえてくるようなレポートが読んでみたいです。 先輩方お願いします。
 
それもこれも含めた形で、六研伝説が歩き出すことを期待しています。