ウエスタンアームズ PPK/S

プラスチック製モデルガン
写真00

こ、このチャンバー刻印、今までかつてない再現度で造られた姿に息を呑みます。

このマークは、ドイツ製コマーシャル版の刻印です。Nが民間用を意味します。


写真01

スライド右側には、でっかく米国輸入代理店のインターアームズ社の刻印。
かつては、ワルサー社からの拳銃を一手に代行していたインターアームズ社でした。
実銃に忠実に再現されています。


写真03

左側には、米国式にいうと口径380ACP である9mmクルツと書かれています。メイドイン・ウエストジャーマニー、かつて東西に分断されていた西ドイツ製であることが示されています。


写真02

この、ものすごく力の入った作品は、ウエスタンアームズのモデルガンです。

いまでは、マグナブローバックのエアガンで有名なウエスタンアームズですが、このPPK/S が発売されたころは、 日本にエアガン文化はまだ存在していませんでした。PPK/S そのものも1980年5月号のGun 誌で、イチロー永田氏によって日本で初めて紹介された製品でした。
その活き活きしたレポートと美しい写真は、ジェームスボンド時代を知らない若い世代にPPK/S の魅力を強く訴えました。


写真04

イチローの記事から2ヵ月後のGun 誌です。
ウエスタンアームズからPPK/S 製作の発表がされました。
左下のMGC と手を結ぶWA のマークが示すように、当時はMGC 製品のカスタム版ガバを作っていたWA にとっては、 オリジナル設計のプラ製モデルガンとしてはベレッタ34 に続く第2弾でした。
(金属ブラックホークはすでに発売していた)


写真05

80年秋に発売との発表でしたが、製作は遅れ「遂に発売」という広告が掲載されたのは 1981年5月号でした。ですから3月ごろに発売されたようです。発表から約一年経ちました。

このあいだに、なんとマルシンから対抗馬が発表されました。まったく同じプラ製のPPK/S です。
1981年2月号に次期発売広告が出て、同年夏ごろには発売されたようです。真正面からガチンコ勝負です。 同一機種を完全に同じ時期にぶつけるのは、けんかを売っているようなものです。
単なる偶然ではないでしょう、マルシンは、国本氏が嫌いだったのか、WA 発展を阻止しようとしたのか、 こりゃぁ絶対に売れると見込んだのか?
事情は知りませんが、ユーザーにとってはありがたい状況になりました。


マルシンと比較

写真06

並べてみるとマルシンのリアサイトが、やけに四角くてでっかいことが判ります。ここですぐにWA と識別できます。
全体の構造は、まるで違っています。両者の比較は1981年6月号Gun 誌で、ジャック天野さんである根本氏が詳しい比較記事を書いています。

9,500円で発売されたWA に対して、後発のマルシンは8,500円と1,000円切ってきました。
そのせいもあったのかどうだか知りませんが、2009年現在、モデルガン希少時代においてもマルシンのPPK シリーズは、しぶとく生き残っています。
この対決はマルシンが勝者となったのでしょうか?


写真07

根本氏の記事を読むと、発売当初はマルシンのPPK/S にはグリップウエイトは、入っていなかったようです。WA は、はじめから入っていました。後方インナーフレームの形がマルシンとは違うので、WA のフレーム底の形状は実物を忠実に再現しています。

WA のマガジン左サイドにはパンチ穴がひとつだけです。このようなタイプの実物があったのかどうかよく知りません。


写真11

WA の特徴はインナーフレーム式のところです。前作のベレッタ34でも大幅に亜鉛製インナーフレームを使用していることとよく似ています。プラ製モデルガンでは、今の主流となっているこの形式ですが、元祖はWA かもしれません。

根本氏の比較記事によれば、WA のPPK/S は、国本社長が自ら実銃を測って設計したそうです。 対するマルシンは、六人部氏が以前取材した物の寸法から製作したそうです。
六人部、国本という両設計者は、かつて共に手を取りスタートしたWA 創業者同士ですが、同じ製品で対決することになったんですね。

おそらく六人部氏は戦前版のPPK 、PP を取材したときのデータを使用したものと思われます。
ですからシア形状、フレーム形状は、戦前版になっています。WA のフレーム、シアは戦後版の形です。
したがってマルシンのリアサイトが実物に似ていないことも納得できます。
でっかいリアサイトは、実測ではなく六人部氏の推測で造られた物だからだと思います。


写真08

ウエスタンアームズのシアは、このようにフレーム右から差し込む形式で、戦後版の実物を よく真似しています。マルシンの物は戦前のフレームの造りで、シアを下から入れ込む形ですので、シアの鶏頭の 形が左右にあります ↓が左右ともマルシン。

写真12


写真09

日本の金属モデルガンをリードしてきたタニオ式PPK でしたが、1977年(昭和52年)の銃身分離型 の発売禁止規制からプラ製になって初めて登場したのがPPK ではなく、PPPK/S であることが時代を現しています。 007ジェームスボンドの魅力も薄れていました。このあと、本当のPPK 登場には約30年も待たされました。


写真10

戦後の人口爆発である団塊の世代も、歳を経てお父さんになり、その子供たちが10歳にさしかかるのが1981年です。 親が多けりゃ子も多いのは当然で、彼ら団塊ジュニア世代が1985年までのモデルガン最終期を 盛り上げました。その波が去って行き、1990年にはモデルガン不況に陥り、変わってエアガンが台頭して行きます。

WA PPK/S は、正確な考証で造られた良い製品だったと思いますが、時代の波に消えていきました。 団塊ジュニア世代と共に、モデルガン時代の最後を飾った名品でしょう。


貸していただいたオーナー様、有り難うございました。

おまけ

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