|
旧日本軍の弾入れ、前盒(ぜんごう)である。体の正面にこれを2個(60発)付け、背中に後盒(こうごう)をひとつ
かるう(60発)。合計120発で戦闘に赴いた。
|
|
造りは頑丈に丁寧に製作されている。向かって右が初期の頃の物だと思う。弾の仕切りの革が多い分
全体のつくりが少し大きい。左の物は、ほんの少し小さい。 南方戦線で革が湿気で傷むとか資源の節約かでその後ゴム引きのものも造られた。
|
|
このように仕切りの革の枚数が違う。その後、仕切りではなく外から革を合わせるようになる。
ナカタ商店で売っている99式の前盒レプリカ品がそうである。 また、上の止めバンドの革を縫い付けている物は海軍用だとの記述も見たことがあるが良くは知らない。
|
|
仕切りの違いは外側の縫い目が一本か二本かですぐに見分ける事ができる。
|
|
左の中期型の物は、ベルト通しがカチカチになっているが右の初期型のものは
保存状態が良かったのであろう、柔らかいままである。
明治になり、軍備を西欧諸国に見習って揃えた日本陸軍であるが、たいていはフランスの軍備を
参考にしている。 図のドイツの物も日本の前盒と同じでフタを内側から外側に開ける。内側は体に合うように 曲線で作られている。
|
|
前盒には、このようにクリップつきの弾薬が30発収まる。7.7mmになっても弾薬盒はそのまま使用された。
支給された弾薬は紙に包まれていたのでそのまま入れていたとも破ってバラで入れていたとも読んだことがある。
|
|
この前期型の前盒は、オーストラリアから購入した物だが、戦闘によると思われる傷が付いている。 ものすごいスピードで前方から金属片などが飛んできたようである。もしこの前盒が左側ならば 腹部のど真ん中にかなりの傷を受けた事は間違いない。平和な世の中で眺めているが これを腹に巻いていた兵士は、亡くなったのかも知れないと思うとなんだか神妙になる。 オーストラリアは第2次対戦中連合軍側について日本軍とも戦っている。 日本も上陸こそしていないが、爆撃や潜水艦攻撃を行っている。参考↓
http://www.australia.or.jp/gaiyou/japanese_resources/pdf/09_postwar.pdf
オリンピックの行われたシドニーには今でも特殊潜航艇が展示してあるらしい。 僕らは平和この上ないような国としてオーストラリアを見ているが、ほんの少し前はお互いに 殺しあっていたのだ。 古い物は、はるか時間を飛び越え語りかけてくる。ついつい心惹かれてしまう。 (といいながらこの前盒は現在ヤフオクで売りに出しています、誰か買ってください。資金難男。) |