※写真はA-4印刷したものです。実際の冊子の大きさはB-5 です。
匿名の方より、MGC 販売促進誌ビジェールの1968年版のスキャン写真をいただきました。
基礎知識1961年に貿易自由化され、大量にアメリカからキャップガンが輸入されました。中田商店によるものです。 それをコピーし改造し、よりリアルな物を製造しだしたのが神保氏のMGC でした。キャップガンとは違うんだという意気込みから、それらを「モデルガン」と呼びました。MGC 製品は、市場独占で日本製モデルガン=MGC 製という状況でした。 販売は、コクサイ、マルゴー、江原商店(CMC)、本流、マルホコルト(堀内商店)などで、MGC は販売はしていませんでした。 1965年、画期的新製品ブローニング380の発売に際し、MGC は、住民票の提出を義務付けます。 これは、発禁も食らったことのあるMGC がトイガンの将来を危惧してのことでした。伏線はこの年の実銃乱射事件による警察の一方的な 銃刀法改正が行われたことでしょう。社会に溢れるようになった モデルガンの行く末を案じたのだと思います。賛同しないと品物を卸さないという強硬姿勢でした。 ところが、販売店側はこれに猛反発、しかも直営店まで出すというMGC とは、完全に絶交状態になります。 反MGC 連合はコクサイの荒井新一郎氏を中心に打倒MGC を掲げ「高級玩具組合」を設立します。 MGC 製品がないと売るものがない組合側は、MGC 製品の丸ごとコピー品を許可なく製造販売し始め、ここに 15年にわたる「仁義なきモデルガン戦争」が始まったのでした。 1968年ビジェールは1967年印刷のようです。モデルガン戦争まっただ中の頃です。
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表紙と裏表紙です。クリックすると別ウインドウにでっかいJPG 写真を開きます。 以下のページも同様です。
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文中に出てくるモデルガンは、中田のワルサーP38、ルガーP08、コクサイ(INT)のコルトポケットなどです。
まるで「子供のケンカ」状態ですが、それほどひどい仕打ちをMGC は、受けていました。
チーフ、ハンドエジェクター、センチニアル、PPK 、ブローニングといったほとんどの製品に組合側製造の完全コピー
の偽物が販売されていました。
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たいへん貴重な資料を素晴らしいスキャンで提供していただき有難うございました。 その他の号をもっておられる方がいましたら是非ご提供ください。 みんなで隠れた歴史を発掘しましょう。 |