写真は、CAW の1860ネービーです。ネービーといっても海軍に正式採用されたという意味ではなく 、当時は44口径をアーミー、36口径をネービーと呼んでいました。ですからレミントンのアーミー、ネービーも 同様の口径です。
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写真は、スペイン、デニックス社とマルシンの1860アーミーです。
このシリーズは、パーカッション形式のコルト社の最後のモデルで、パーカッション式の完成形とも言えます。
軽量化を図った曲面切削の美しい造形です。 派手好きでわがままで攻撃的な人だったようですが、大金持ちになり美人の妻をめとり、大邸宅に住んでいましたが 子供を亡くしたり、病気になったりと、晩年は辛かったと思われます。そのころに開発された究極のコルト・オープンフレームです。 この銃は、コルト氏の技術者としての限界も示しています。1863年にはエリファレット・レミントン氏のソリッドフレーム銃が世に出てきます。
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CAW とマルシンの1861ネービーです。36口径なので44口径のアーミーのようにシリンダー補強の 段差がありません。この2つは、両方とも力のこもった良い製品です。
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現在、日本で入手可能な60シリーズは、この4つだと思います。 最高の品質は、CAW の製品だと思います。デニックスは、少し太り気味です。また、マルシン60アーミー金属製は、 すこし痩せすぎではないかと思います。
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ローディング・ロッド
60アーミーは、軽量化のためかローディングロッドの再設計がされています。 真ん中のローディングロッドは、実銃の物です。CAW に取り付けられます。
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豆知識
こちらは、コルト氏の初の作品であるパターソンのローディングツールです。 パターソンのツールの後方には、ニップルの発火孔を掃除する針が付いています。
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このようにツールの前方を、フレームのバレル・キー穴に差し込んで使用したのではないかと思います。
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マルシン60アーミー
1977年に発売されたマルシンアーミーは、smG規制一番乗りくらいです。
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シリンダーには、メキシコ海戦の様子が奇麗に彫られています。 これは、1843年5月16日にテキサス軍とメキシコ軍が戦った海戦での勝利を記念しています。 当時のアメリカは、戦争を起こしてどんどん領土を広げていました。 当時のテキサス共和国は、もともとはメキシコの領土でした。
当日はテキサス海軍のAustin と Wharton の2隻がメキシコの戦艦を破ったそうです。 http://www.texasnavy.com/combat.htm 日本では、12代将軍徳川家慶が天保の改革を行い、中国では清がアヘン戦争に敗れた頃です。
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マルシンのプラ製ネービーにも素晴らしい彫刻が入っています。このモデルガンは、当初 1987年にフランクリンミントから39,000円で発売されましたが、拘束期間が切れたのか、最近では マルシンから安価に発売されています。昔に高価で買った人は、歯がゆかったと思います。
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グリップフレーム形状
ずっと、マルシン60アーミーを握ると何だかグリップがやけにでっかいように感じていました。
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CAW とフランクリンのカーブは、似ていますが金属アーミーは、矢印の部分が直線なので 格好が悪いです。また、少し長いこともはっきりと確認できました。自分の目が正確でよかったです。 ただし、61ネービーとの比較ですので、実銃のネービー、アーミーのフレーム違いを知らないので 再現性については、なんとも言い難しです。英文ページでアーミーは、グリップが長いと読んだこともあるような記憶があります(あいまいです)。
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CAW とマルシンを並べますと、まるでCAW のネービーの方が44口径のようにでっかく見えます。
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CAW 61ネービーCAW は実銃の詳細な調査の上に51ネービー、61ネービーを製作販売しています。 どちらも素晴らしい製品だと思います。昔では考えられないくらい高品質です。 とくにバレルキーは、素晴らしいです。
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ただ、どちらのモデルにも言えるのですが、バレルとシリンダーが接する所が、ギチギチで シリンダーがまともに回せません。バレルの後端にペーパーがけして調整が必要です。初心者は戸惑うかもしれません。
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今回入手したネービーは、ローディングロッドの止め部分が簡単に外れます。バネの力に押されて 浮いているのが解ります。ここは近いうち接着しようと思います。
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ついでにCAW 51ネービーと60アーミーのバレル、シリンダーを交換してみました。
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またまた、ついでにマルシン61ネービーとパーツ交換してみました。
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デザインコルトの歴史を並べてみました。SAA は、ランパント製です。 グリップスタイルやリコイルシールド部分など伝統的なデザインが感じられます。
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コルトとS&W金属薬莢式のリボルバーの特許をS&W に抑えられていたため、コルト社は60アーミー・シリーズのあと は、コンバージョン・キットでしのぎます。ふたたび世にコルトの強さを示すのは、1873年のSAA 登場まで待たなくてはなりませんでした。 そのむかし、サミュエル・コルト氏は、ウエッソン氏の兄の造り出したリボルバーを特許侵害で製造中止させました。 その後、ウエッソン兄が急死した為、ダニエル・ウエッソン氏は、コルトの特許に触れないリボルバー製造に命を燃やします。そうして貫通シリンダーの特許を買い取り、世界初の金属薬莢式リボルバーS&W No.1 を開発しました。 それは、豆粒のような22ショート弾でコルト氏も甘く見たかもしれませんが、1861年には、32口径のS&W No.2 が出てきました。確実に迫ってくるS&W の新製品にコルト氏は、巨大なプレッシャーを感じて、仕事中毒に陥ったのではないかと 想像しています。時代が移り変わっていく恐怖をコルト氏は、大きく感じながら生涯を終えたのではないでしょうか。
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