六研・壱番型拳銃

1878年(明治11年)S&W のラシアンモデルが日本海軍向けとして始めて輸入された。 海軍では壱番型拳銃としてその後20年ほど輸入しながら使用された。
ここに紹介する物は六研製プラキャストのモデルガンでS&W モデル3シリーズ後期の ニューモデル3で最も多く輸入されたタイプ(1万丁)を再現してある。

表題の字体について六研の説明書には「壱番型」と書いてあるが、1910年(明治43年)の図面には 「一番形」と記述してある。弾薬箱の写真を見てもそのようだ。 本当は「一番形」であったのかもしれない。

トリガーガード前方のフレームに日本海軍向けのイカリマーク刻印が再現されている。
銃そのものはS&W ニューモデル3ラシアン・タイプで日本海軍向けのみ、この刻印があった。


このホルスターは実は銃が入らない。もっと短い銃身用みたいだ。
雰囲気がそれっぽいので一緒に撮影している。 カートは、見た感じが似ているので45オートリムを転がしている。

このホルスターは表面が型押しされていて写真で見ると豚革のようだが模様である。
作りのいいものだが、どこの国製なのか、何用なのか判らない。軍用ではないと思う。

後記
その後スウェーデンのHusqvarna model 1887 Nagant revolver用軍用ホルスターだと判明した。 革はpebblegrain leather と呼ばれる細かい型押しがされた物だ(pebblegrain=小石粒)。 貴重なものらしい。いい物にめぐり合えたものだ。


もっと後に発売された六研製の26年式とは違い、ちゃんとラッチがあるのでテイクダウンできる。 カートを入れるとリムの厚みのために少し閉まりにくくなる。
エキストラクター機構などは何もない。

撃発機構、シリンダーストップなど何もない。グリップは非常に良くできたプラ製。

六研ビンテージモデル・シリーズとは、マイナーだが日本にとっては歴史的価値のある銃を なるべく安く再現するという意味合いがあったと思われる。
六研からは、かつてアルミ合金製の文鎮モデルなども出ていたが、ディティールはいまいちだった。 そこでプラキャスト製で少しでも良い出来栄えのものを目指したのだろう。
私の世代は共感する物があるが、現在のガスガン世代には、「こんな物買って何が楽しいの?」 と言われてしまいそうだ。


この壱番型が六研のビンテージシリーズの第一号ではないだろうか?立派なケースに入っている。
意気込みが伺えるが、その後販売が伸びなかったのか箱は、さっぱりになって行き、26年式などは 説明書さえも入っていない。製造数も少ないようでオークションでもあまり見かけない。

カートは44ラシアン弾をよく再現してある。大きさは、ほぼ等しい。実物は右図のような箱に 12発入って供給されたようだ。元の写真が見辛らかったので文字はいい加減に書いている。 特に海軍造兵局なんて あったのかどうだか知らない。


スペイン製デニックスのモデルガンと並べてみた。
デニクスの方はS&W モデル3アメリカン・セカンドモデルだと思う。 モデル3シリーズは多くの種類があり、わかりにくいので今度まとめてみたいと思っている。

モデル3とニューモデル3は、エキストラクタ形式が違うので銃身下部のシュラウドの大きさが違う。 また、グリップ上部のフレームの出っ張りはラシアンモデルの特徴だ。

S&W 社はロシアへの輸出に成功したが、当初の契約と違ってロシア側からいろいろ意見を言われ それらを採用して行き、結果として銃の完成度は高まった。 また、モデル3シリーズは他国の軍が採用したことで「世界のS&W」として認められ、 今日に至る躍進の原動力となった。ちなみにロシアからのお代は純金で支払われた。


同じく六研製の26年式、南部式と並べてみた。
陸軍では、自国で拳銃も作れないのかという声に 押されて国産初の26年式拳銃が制式化された。明治後半にかけて壱番型から26年式に 随時変更されていった。 (陸軍でも壱番型は使用されていたようだ。下記別項)

その後、海軍では南部式拳銃を採用。それも六研プラキャストでしか手にする事はできない。 この3つの歴史的な拳銃がいずれも六研プラキャストでしか存在していないという事に 六人部さんの意思を強く感じる。多くは売れないであろう物を何とか供給してきた その行動には頭が下がる。価値がある行いだったと思う。


資料

国立公文書館 アジア歴史資料センター↓
http://www.jacar.go.jp/

のページの左上にある赤い「資料の閲覧」から行って専用ビュアーをインストールすれば いろいろな文書が閲覧できる。「二十六年式」とか「スミス 拳銃」などとキーワードを 入れて検索すれば多くの文章を見つけることが出来る。
それによれば陸軍では「スミスウエッソン拳銃」と呼び、少なくとも関東憲兵隊、朝鮮駐留憲兵隊は 支給され使用していたことが明らかだ。

呼び方は最初の頃は「蟹目壱番形引落拳銃」、「一番形拳銃」などと呼ばれていたようだ。 正式採用されていないので正式名称は無く通称であったと思う。


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