二四式小銃とは、何であるか?・・・それはモーゼル社からの正式ライセンスにより中国にて生産されたモーゼル・スタンダード・ライフルのことである。
モーゼル・スタンダードライフルとは、何であるか?・・・それはバレル長600mm程度の短い小銃であり、今までの小銃よりも射程は短くなったが、取り回しを良くしたもので、生産性にも配慮されたものである。FN 1924 とチェコのVz 24 は、兄弟と思われる(主観)。また、のちのKar98k への道標となったモデルである。
なーんて偉そうに言っているけれど、このエアガンを買うまで全く知りませんでした。
PPS 社のガスガン
オークションで購入したガスガンですが、販売はPPS 社という香港の会社のようです。検索してみたら今ではCO2 マガジンに変更になっているようです。でも、あまり売れていないような感じがします。 私が購入したものは、ネット情報によると内部的にはタナカのコピー品だそうです。PPS 外観
モーゼルスタンダードモデルののちに1935年 Kar98k が製造されますが、スリングの横、縦 の違い以外はほとんどありません。 と、いうことでCMC のモデルガンとPPS ガスガンを並べてみました。大変残念なことですが、中正式はストレートハンドルなのに ストックのボルトハンドルの窪みがあります。これが無かったら100点満点なのですが、採算考えると仕方ないのでしょう。Kar98 の木製ストックをそのまま使用しています。バットプレートがちゃんとプレートになっていることで我慢しましょう。
余談ですがカップ式のバットプレートをコピーした六研の六人部さんのせいで世の中のほとんどのKar98 トイガンが カップ式になっちゃいました。六人部氏の功罪です。
カップ式バットプレートは、1940年に決まり、1941年から1944年まで見られます。
Kar98kの1935年からの生産数全体から考えると、プレート型の方が多いのではないかと私は思っています。
小銃式のたて掛けのスリングとCMC の騎兵銃式よこ掛けの対比です。また、Gew 98 からの名残でパレード用にスリングをピンと張るためのフックが残っています。
一番上がCAW の98b というモデルガンですが、同じように Gew98 のフックがあります。
非常に特徴のある製造所のマークです。弓のマークの下に卍 が描かれていますので第21工廠 の製品だと分かります。
本物はこんな感じです。
工廠別マーク
中国の検索サイト百度 https://www.baidu.com/ で見つけた図です。がんだれは、廠 を表します。
wiki によりますと 21廠は金陵兵工廠改組後の番号とのことです。
この図は漢字なので何となく分かりますね、左から
第11廠、第1廠、21廠、41廠、60廠のマークです。
また、もうサイトは見つけられなくなりましたが、かつてはこちらに詳しく書いてありました。
数字はおそらく中華民国が成立した1912年を紀元(元年)とする紀年法で書かれていて、1911を足すと西暦になります。
大きさ比較
上からCAW のGew 98、PPS ・中正式、CMC・Kar98k、イラニアンカスタム、タナカGew33/40 です。 下の2丁については、別の機会にチェコモーゼルとして取り上げたいと思います。ドイツ軍装
モーゼル
スタンダードモデル
3PP Third Party Press https://www.thirdpartypress.com/ という本屋さんで購入した
専門書ですが、これがまた素晴らしいです。3部作計で3万くらいですが、98kを知り尽くしたい人には
最高です。強くお勧めします。それに載っていますモーゼル・スタンダードモデルのカタログです。製造は1933年くらいからのようですが wiki にも設計は24年だと書いてあります。この年数が非常に興味深いのです。 なぜならチェコのVz24 とベルギーFN 社の1924が両方とも1924年から作られ始めるからで、 姿かたちもそっくりなのです。しかも設計はGew 98 のパーツを使い、かつてのカービン98AZ の システムは捨て去っているのです。
第一次世界大戦にオーストリアやドイツが負けてチェコスロバキアが誕生しました。
終戦後すぐに、もともと重要な工業都市であったブルノーでモーゼル銃の生産が始まります。
ベルギーFN 社 でも同時に始まります。これは、戦勝国の権利だったのでしょうか?
いえ、私はライセンス料を得るためのモーゼル社からの命により生産が始まったのではないかと思っています。
はじめは、長いモーゼル銃を作って世界各国に売っていましたが、やがて取り回しやすいように
短いものが望まれるようになります。そこで設計変更をモーゼルに申請し出来上がったのが1924年設計の
600mmバレルのスタンダードモデルだったのではないでしょうか?この辺は想像です。
実物写真いろいろ
初代450mmバレルの Kar98 とFN 1924 のでっかい写真です。右のFN モデルのフロントバンドの止め方が
Gew 98 小銃と同じ方法です。
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モーゼル・スタンダード・モデル2態です。写真右のフロントバンド止め方は、Kar98k と同じ仕様になっています。 |
Kar98kへの道
Gew 71 でドイツ正式小銃として採用されていたモーゼル社でしたが、10年後の装備変更において外されてしまいます。 軍か政府に嫌われるような何かがあったようです。そうしてモーゼル製ではない写真のGew 88 が採用されました。
また、10年後装備変更に際し、今度はモーゼル製品が復帰しました。写真のGew 98 とKar98 が採用になりました。デザインを見ると分かるように 88モデルから継承しています。エイリアンサイトは軍からの押し付けのようです。モーゼルの案ではありません。
しかし、強力な無煙火薬を使用したS弾薬 が採用されたことにより450mm バレルのカービンには強力すぎて初代のKar98 は 消えてしまいました。代わりに600mmバレルのKar98AZ が採用されました。
1918年 第一次世界大戦に敗れたドイツは、ベルサイユ条約を結び武器の製造が出来なくなりました。しかたないので騎兵銃と偽って 実際は小銃である Kar98b という製品を作っていました。
食べていけないモーゼル社は、かねてからお付き合いのあるFN 社とチェコのブルノー工廠にライセンス生産を頼みます(ここ想像です)。 やがてバレルの長いモーゼル銃の輸出が始まりますが、お客さんからはもっと短いものを要求されるようになり、実績のある600mmバレルに Gew98 のフロント周りパーツを流用してスタンダードモデルを設計します。それらがVz24 や FN 1924 として数多く生産され世界中にばらまかれます。
作用反作用の法則ではありませんが、押さえつけられたドイツ国民を喜ばせるようにナチスが台頭してきて、とうとう1933年ヒトラーが政権を握ります。 同時に実質軍用銃を民生用に見立ててモーゼル・スタンダードモデルの製造がはじまります。
やがて政敵を排除し独裁を築き上げたヒトラーは、ベルサイユ条約の破棄と再軍備宣言をし第2次世界大戦への道を歩み始めます。同時に モーゼル・スタンダードモデルをより簡略化したKar98k が採用され、大増産が行われます。
Kar98k 生産数について
Kar98 がどれだけたくさん短期間に生産されたかをエクセルの表で表してみました。 生産数と期間は、おおむねウィキペディアから引用しました。アメリカのガーランドを基準にヒトます50万丁で書いています。こうやって見ると、どれだけたくさん作っているんだと 驚きます。この短期間にそれだけ作れる工場があるっていうのもすごい事ですね。 また、第一次世界大戦から考えますとドイツって国は、鉄砲たくさん作って、兵隊たくさん死んで、2度とも大戦に負けて、なおかつ2020年現在でも ヨーロッパでは一等国であるという事は、すごいなと感心します。