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1904年、南部麒次郎氏は南部拳銃の改良に取りかかり、1906年よりこの改良型が製造された。 大きくなったトリガーガードにより外観はベビー南部を大きくした印象になった。 ランヤードは可動式に改められた。内部の機構は、ほとんど変わっていない。 後年、米国コレクターは、このモデルをパパ南部 と呼んだ。
グリップ上部の微妙なカーブが日本的だ。 |
通常、こちら側のシリアルの後ろに製造書を示すマーク、または錨のマークがあるはずなのだがこの銃には見当たらない。 バレルフレームは恐ろしく程度が良い。 パパ南部は東京砲兵工廠で1906年から1923年まで4,600丁製造され、TGE では1909年より 1928年まで5,700丁作られた。それぞれマイナーバージョンが存在しフレーム後方のストックミゾがあるもの、 フレーム後方軽量加工の無いもの、フレームが2ピース圧着加工のものなどが存在する。 |
リアサイトは、グランパ南部とすこし形が違う。 フレーム後方の軽量化のミル加工は、TGE 製の物には加工の無いものもある。
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錨のマークや製造所の刻印は無い。 シリアルは東京砲兵工廠ではグランパ南部に引き続き2,400番台からスタートしているが TGE の方は1番からである。この銃は6000番台で東京砲兵工廠製である。 |
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パパ南部だけの写真を見ているとトリガーガードの大きくなったことがあまり判らないので
グランパ南部の写真と重ねてみた。
かなりトリガーガードが大きくなっていることが判る。それに伴いマガジンキャッチがすこし下方に移動した。マガジンの切欠きも下がっている。
トリガーシステムもすこし変わったのでトリガーバー支点も移動している。 日本の書物には、海軍が南部式拳銃を陸式拳銃として採用したとあるが、この写真の銃にはイカリマークが無く シリアルから言っても東京砲兵工廠製の「スタンダード・プロダクション」のものであると思われ、 海軍契約分の銃ではないと思う(海軍用はTGE 製のみ)。とすれば、陸式という刻印は、海軍のために彫られているものではなく、この銃の名前として彫られているのではないだろうか? もし私の想像どうりだとするならば、帝国海軍は「陸式拳銃」を採用した、とするべきであろう。 海軍が発注した年月が正確にわかれば、この銃が初めから陸式となっていたのかどうかが判明する。 また、よく甲型、乙型と南部式拳銃を分類している書物を見かけるが、良い悪いをも示す甲、乙などと言う分類名を 大切な製品に付けるわけは無く、3種類の南部拳銃を甲乙で分類することは間違っていると思う。 このような基本的なことすら今の日本では、謎ちゅうの「ナゾ」なことが情けない。銃器研究家による しっかりとした名称付けを望みたい。 |