妖怪「わら小僧」?のような奇妙なものであるが、これは手榴弾である。
しかも大変珍しいものだそうだ。私は最初に写真を見たときは地雷かと思った。 昭和18年に本土決戦を見越して製造された3式対戦車手榴弾だ。 袋に火薬を入れ信管を取り付けたもので、直径10cmくらいのものである。
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上部には麻の紐が取り付けてあり、これを持ってぐるぐる回し投げ
、より遠くへ飛ばすようになっている。
なんだか空しくなってくる。こんな物で敵戦車をやっつけられたのであろうか?
本土決戦用の武器には、とんでもないものが多く見られる。生産力、資源のなさを反映して
「何が何でも精神で勝つ」ような武器が存在した。人の命は二番目である。
この手榴弾が「さっぱり」な兵器かどうだか知らないが、見た感じはそんな印象である。
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これが信管部分。安全ピンを抜いて戦車に投げつけると衝撃で
発火する。写真は安全ピンが抜いてある状態だと思われる。丸いカバーの中に撃針が
下向きに取り付けられていてその先は空砲の弾のような構造になっている。
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右図のような構造で中は空洞である。底は木製だ。 黄色いところが爆薬で黄土色の部分が拳銃の空砲を逆さにした構造になっていて 衝撃で赤色部分の雷管が発火し黄土色部分の起爆材の燃焼により黄色部分の火薬が爆発する仕組み。 黄色部分の火薬の種類により3式手榴弾は、3種類存在したらしい。袋の色も違っていたのかもしれない。 右図は「世界兵器図鑑」から借用したが内側のモノクロ部分は金属製で外側は布地だと解説されているが、 当写真の手榴弾は、布の内側は木製の筒になっていて形状は図の如しとのことです。 材料欠乏時代のことなので、いろんな組み合わせが存在したのだろうと思います。 土のう袋に火薬を入れただけのようなものなので、終戦後に物資がないときは簡単に解体されて 火薬を流用されたであろう。かなり大量に生産されたらしいが、現物が残っていないのは、そういった理由だと思う。
今、見ると隔世の感があるが私の父、母は |