年 表

民主党と共和党が代わる代わる政権を担うのは、保守的なアメリカと先進的なアメリカが、同時に存在する 不思議な国家をよく表しているのかもしれません。
AR-10 の開発

1955年ころのことです。当時、M1 ガーランドの更新へ向けた新銃トライアルが行われており、アーマライト社も遅れて 参加しAR-10 を提出しました。口径は7.62mmでのちにNATO弾として世界で採用されたものです。 写真はトライアル当時の物と思われます。

しかし、当時7.62mm弾の銃器ではFN 社のFALがデファクト・スタンダードで牙城は切り崩せませんでした。 AR-10 は、オランダでの約1万丁の生産に終わり歴史の表舞台から消えてゆきました。
AR-10 の小口径化

当時の情勢では、M1ガーランドに使われていた30−06弾は強力すぎて、もっと小口径の弾でも良いのではないかと 特にイギリスから提案されていました。アメリカ国内でも一部プロジェクトは、矢を放つフレシット弾や小口径高速弾の 研究をしていました。
ワイマン将軍の提案は、レミントン222弾を用いた小口径ライフルの提案でした。 写真は、初期の試作型でアーマライト社の技師、フリーモントさんとジェームス・サリバンさんの設計でAR-10 をスケールダウンしたAR-15 です。
AR-15 トライアル

1958年上半期にアバディーン性能試験場にて、小口径検討グループは上写真のウインチェスター224口径とAR-15 をテストします。ウインチェスターの方は、一見して分かるようにM-1 カービンを参考に定評あるメカと材料で組まれています。 また、木と鉄という今までの銃の概念を壊さないものでした。
参考ページ
https://www.americanrifleman.org/articles/2016/2/19/the-contender-winchester-s-224-light-rifle |
1958年のトライアルでは、M-14 が次期ライフルとして採用されていたこともあり、明確な判断は示されず 継続開発となりましたが、ものにならない可能性の強いプロジェクトからウインチェスターは降板し 開発中止の代わりにM-14 ライフルの製造を勝ち取ります。この判断には、銃的には優位だったようですが 担当管たちがアーマライトに惚れていたことが、将来を危惧する材料となったようです。また、弾薬もウインチェスターの224よりも223レミントンの方が性能が良かったようです。
↓こちらのフォーラムの下の方に1958年のテスト結果のPDF へのリンクなどあります。
https://www.ar15.com/forums/ar-15/The-Complete-ArmaLite-AR-15-Prototype-Guide/123-743191/ |
コルト登場

1959年親会社のフェアチャイルド社は、景気が悪くなり、この先ものになるのかわからないプロジェクトに大金をかけられなくなってきました。 そこでアーマライトから手を引くことを決定します。そのさいAR-10 とAR-15 については権利をコルトに売却しています。
ここは、おそらく軍による紹介があったのではないかと思います。潰すには惜しいプロジェクトだから、コルトさん
何とかしてくださいな、となったのか、はたまたコルトの営業マンがAR-10、AR-15 の将来性を見抜き強引に取ったのか・・
よく分かりませんが、私は前者のような気がします。
ルメイ将軍

写真は、その時の伝説的ライフルでシリアル106番です。約1000万円で 競り落とされたようです。
なかなかに劇的なシーンですが、実際はどうなのでしょう?コルトのセールスマンによる周到な根回しがあったのかもしれません。
とにかく売りたいコルトは、空港警備でも何でもいいからきっかけが欲しかったと思われます。
参考ページ
https://www.nrablog.com/articles/2017/9/remembering-the-air-force-general-who-helped-usher-in-the-m16-rifle |
https://www.morphyauctions.com/jamesdjulia/item/lot-1009-near-mythical-extraordinarily-rare-colt-ar-15-model-1-original-select-fire-test-rifle-known-as-the-coconut-rifle-42475/ |
マクナマラ国防長官

空軍からの絶賛と陸軍からの否定意見が両立する中、M-14 の生産も停滞し、ベトナム戦線は拡張していきます。 効率化、予算削減を目指すマクナマラは、AR-15 の採用とM-14 の生産停止を決断します。 空軍出身の彼には、陸軍の意見よりもかつての上司であるルメイ将軍の意見の方が通りやすかったのは想像に難くありませんが、 物事を効率的に整理しようとする彼の方針には、小口径高速弾を大量に持ち運び、フルオート射撃できるAR-15 は、 正当な評価としてM-14 よりも優れていると判断したのでしょう。
その後、マクナマラは、長年にわたってアメリカの銃器を開発してきたスプリングフィールド・アーモリーを閉鎖します。
M-1 ガランドからM-14 へほとんど進化しなかったのも原因の一つと言われています。
スプリングフィールドの名前は、現在は民間銃器会社のレーベルとして使用されています。

いろいろありましたが、223レミントンは、結局アメリカのごり押しでNATO 正式弾となり、世界各国で使用されることになりました。そのため223口径のアサルトライフルが各社から登場してきました。日本も89式小銃を開発しました。
おわりに

最も良い物のみが生き残る、とは言えない現実社会ですが、間違いなく言えることは、生き残った者が最高なものである、とは 言えるのではないでしょうか?
