参考資料の本たち

当ページを書くに当たって資料とした物。全部米国から購入。


4.ラーキン社カタログ・1923/24年・秋冬号

ラーキン社のカタログ第90号・1923/24年 FALL &WINTER を購入。秋冬版だ。
表紙は、家族仲良くラーキンカタログを見ている。楽しそうなパパと娘に対してママは、なんだか悲しそう。


1930年に比べ陶器類は、たいへん少ない。洋服関係が多いのは同じだが、絨毯のページが多い。 陶器は3ページくらいで、アザレアは金属食器の類のところに登場する。
私はラーキン・チャイナ本の内容から 1923年には、まだ製品番号はふられていないものと思っていたが、ごらんのようにちゃんと付いている。 2,3,4,7の4種類のみがラインナップされている。

1930年には載っていない「銃」が掲載されている。全般に生活必需品ばかりで1930年のカタログに見られる 趣味の物は少ない。アメリカ人の生活がこのあと急速に優雅になったことが伺える。


すでにノリタケは、認知されているようで貴重なカラーページにも登場している。
陶器関係は、この見開き2ページだけである。

もともと陶磁器類は、高級品であり庶民の手が届かなかった時代だ。 このあと、1929年の株価暴落に向けてバブルが始まったのであろう。 1930年のカタログは陶磁器類が大幅に増えている。 それに伴ってノリタケの大量生産も活気付いた事だろう。なかなか興味惹かれる。


3.ラーキン社カタログ・1930年春夏版

ラーキン社のカタログを購入(30ドルくらい)。1930年の春夏版だ。
状態は非常によく、折り目などまったくない。ずっと本棚にしまわれていたのであろうか?

大きさはA4 に少し足りない長さの本で、ほとんどがモノクロである。
香水から始まって洋服、下着、花の種、食器、洗濯機、絨毯、カーテン、家具など ありとあらゆる物が揃っているかんじだ。主婦は、これを眺めて一日中すごせるだろう。 女性のモデルは、ほとんど帽子をかぶっている。当時、外出時は必需品だったのだろう。
1930年といえば昭和5年で私の父母はまだ生まれてもいない。

現代にも通じる生活全般に溢れる豊かさを感じる。今で言えばAmazon.com を覗く感じだ。

当時の日本は、ライオン宰相と呼ばれた濱口雄幸首相が東京駅で銃撃されのちに死亡するという 大事件が起こっている。その引き金となったのは、金本位制導入と軍縮路線で、当時はデフレの嵐の中、庶民の生活は たいへん苦しかったようだ。その中で軍予算は拡大するばかりで首相は海軍予算を減らそうとしていた。

ラーキンカタログには、平和と楽しい生活が溢れているが、日本はたいへんな時代だったようだ。

見開きから裏表紙まで入れて14ページがカラー印刷だ。総計226ページの中でのことだからカラー印刷は 高価だったのだろう。その中のひとつにノリタケ・アザレアシリーズも載っている。

しかしその前の2ページにはノリタケの別のシリーズが掲載されているので、アザレアばかりが 流行っていたのではなく、ノリタケ全般に良く売れていたのだと推測できる。

1930年はアザレアの種類が爆発的に多くなった年だが、時代は世界恐慌であまり売れなかったと推測される( したがってこの年のみの製品群はオークションで高価だ)。
美しいカラーのページで華やかだが、当時のラーキン社の苦悩を思うと、なんとも皮肉なものだ。


2.アザレア・ガイド小冊子

コレクター向けの小冊子である。表紙含めてたったの6ページであるが、米国では結構人気があって 高値で取引されている(30ドルくらい)。

内容は、右ページにラーキン社番号順に小さな写真が、左ページに名前が載っている。 また、珍しい物にはレアと注意書きがされている。 これと別に価格表があり、ペアだったようだ。

アザレア収集の参考にはもってこいである。



1.ラーキン社カタログ本

このホームページの情報は、すべてこの本からのみ得ている。 米国のオークションで購入したラーキンソープ社のカタログ集である。 こんな物が存在するという事は、けっこう向こうでも骨董趣味、食器趣味が流行っているのであろう。

LARKIN CHINA by WALTER AYARS

1990年に出された本のようである。


内容はザラ紙の白黒で1893年から1940年ごろまでのラーキン社で取り扱った食器類のカタログが掲載されている。 アザレアシリーズは1915年(大正4年)に4点で初登場し、その後種類を大きく伸ばしてゆく。 1924年には10点、1930年代に入ると50点もの数になる。 最後に載っているのは、1938年。 食材の邪魔にならないよう、カップ内側には何も描かれて居なかったのに、 このころの製品は内側にもアザレア模様が入れられ、たいへん派手になっている。 消費者ニーズに答えたのであろうから使用されるよりも飾られる事が多かったのかもしれない。

この後、日米は1941年(昭和16年)真珠湾での開戦を向かえることになりノリタケの輸出も終焉を迎える。 また、ラーキン社は昔ながらのカタログ通販が、モータリゼーションの発達と共に百貨店などの直接販売に 消費動向が流れ、売り上げ不振に苦しむ。あれこれ事業に手を出すも多大の負債を抱え1940年代に破綻し 70年程続いた栄光に幕を下ろす。



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